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    Author: Ka-kun & Ananya
    現在アメリカの片田舎に在住。音楽とサッカーとB級グルメをこよなく愛する2児の父&そんな私をいつも陰から支えてくれるうちの嫁さんです。

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ジダンはなぜ頭突きしたのか?

2006年07月13日[02:35:26]
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一ヶ月続いたWC杯が終わり宴の後の喪失感がやっと抜けてきた。
そしてあまりに衝撃的な結末にしばらく頭を整理する事が出来なかった。

イタリアはリッピさんのもと素晴らしい団結力で優勝カップをもぎ取った。
伝統のカテナチオに加え、美しく点を取れるチームだった。
僕の憧れる理想的なチームに近かったと思う。

いうまでもなくカンナバーロこそ真の大会MVPだろう。
不正疑惑で揺れるチームをまとめあげ、自身も大会を通じて最高のフィジカルコンディションをキープした。
相棒ネスタを失いながらも、ラインコントロール、カバーリング、相手ストライカーのマーキングと一人で何役も、そして完璧にこなした。
ドイツ戦終了後、もう一人の守備の要、ブッフォンとしっかり抱き合って喜びを表していた姿、フランスとのPK戦で周りが一喜一憂する中、一人じっと腕組みをして戦況を見つめ、勝った瞬間始めて喜びを爆発させていた姿が感動的だった。

ピルロの芸術的なキープ力と頭脳的なゲームメイク、ガットゥーゾの感動的ですらある献身的な働きも印象的だった。驚異的な回復で怪我から復帰を果たしたトッティも徐々に調子を上げ、チームに貢献した。しかし怪我さえなければ…、トッティ本来のプレーがもう少し見たかった気はする。

とにかくイタリアは優勝に値するチームだった。
そしてあの事件さえなければ皆心からイタリアの優勝を歓迎したに違いない…。

ジダンはなぜヘッドバットしたのか?

大会が終わっても騒ぎがおさまる気配はない。
フランス最大のスポーツ紙であるレキップ紙は「ジダンに憧れている世界中の子供達にどう説明したら良いのか」という文句でジダンの行動を批判した。(後に言い過ぎだったと謝っているが…)
サッカーネタが話題になる事の珍しいここアメリカですらジダンのHeadButtの記事がCNNの一面になった。

レキップ紙はジダンの母マリカさんが決勝戦当日に故郷マルセイユの病院に緊急入院していたことを報じた。また各国メディアがビデオでマテラッツィの唇の動きの読みとり調査を行い、発言は家族と人種差別に関するものだということで、ほぼ特定されてきた。「プッターナ(売春婦)」と「テロリスタ(テロリスト)」というイタリア語が、両方とも含まれるらしい。

現代の代理戦争といわれるWC杯。
人種差別や生い立ちに関する侮辱は決してあってはならないものであるが、グラウンド上の選手はそれくらいの覚悟で試合に臨んでいる事もまた事実だ。

一昨年中国行われたアジア杯でも日本国歌中のブーイング、反日テロによる大使館や日本食レストランの破壊があった。
日本はきわめて冷静に大人の対応をとった。
国の対応として当然だったと思う。
でも、そういう事をした中国人をぶち殴っちゃりたい、という感情は個人的にある。

近日中にジダン自らがあの時何が起こったのかについて語るという。

ジダンがとった行動はWC杯史上最悪の愚行である事は間違いない。
暴力による報復が最低の行為である事も。
しかし今世紀最高のサッカー選手である以前に一人の人間としての自分の尊厳を守るためにすべてをなげうって彼は戦ったんじゃないだろうか…。

そして後一歩のところまでつかみかけていた優勝カップに一目もくれることなく涙を浮かべてフィールドを去って行った不器用な男を攻める事は誰にもできないんじゃないだろうか…。

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WC2006 WC史上に残る名勝負!

2006年07月05日[23:56:57]
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イタリアがやってくれました〜。
今大会応援するチームがことごとく負けて寂しい思いをしていたけど昨日は熱狂しました。

ところで「イタリアはドイツの寄生虫」というイタリア戦前のドイツメディアの発言には驚いた。
WC前に話題になったように5月にもベルリン市東部のプレンツラウアーベルク地区でイタリア人男性が襲撃されるという事件があった。
ネオナチと話を混同してはいけないとは思うけど、一般のメディアからこのような発言が出るという事はゲルマン民族のなかには未だにアーリア人至上主義思想が根底に流れているのではと疑ってしまいたくなる。

韓国人も襲われてたしとりあえず

スキンヘッドのドイツ人

には気をつけよう…。


それはさておきこの準決勝第1試合は

WC史上に残る名勝負

だったといっていいでしょう。
お互いにもっているものすべてを出し切った上で最後にドラマがあった。
イタリアが予想以上に攻撃的だったというのもゲームをおもしろくした一つの原因だと思う。
やっぱり今大会のイタリアはひと味違う。

もちろんドイツ戦でもカテナチオは健在だった。
その中心は試合中何度も素晴らしい読みでピンチの芽をつぶし体を張った守備でドイツの攻撃を跳ね返し続けたカンナバーロと決定的なピンチを救った守護神ブッフォン
彼らが試合後にしっかりと抱き合って喜んでいる姿にはとても感動した。
一見あたり前の事をやっているようでも、彼らにとっても厳しい試合だったんだなあと改めて思い知らされた。

その中でも最後まで淡々とゲームを作り続け、最後の最後にドイツDFを切り裂く決定的なパスを出したピルロの存在感は際立っていた。

あそこでパスはなかなかできんじゃろ、普通。

その少し前にも左足できわどいシュートを打っていたし、極限状態の中でああいうプレーを出来る選手がいるのといないのとがドイツとの違いだった。

また、ピルロがゲームメークに徹するために欠かかせなかったのが

「イタリアの狂犬」ことガットゥーゾ


だ。

かれこそ今回のイタリアをささえる陰のMVPである。

オーストラリア戦でヒディングと抱き合いながらPKを見たり、ウクライナ戦のザンブロッタのゴールの後リッピさんの顔を拳でグリグリしたり
(リッピさんは露骨に嫌な顔をしていたが彼のキャラで許されたらしい)の奇行の数々もファンには答えられん。

彼をみているといつも「トレインスポッティング」でRobert Carlyleが演じていたベグビーを思い出す。

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右の男。ドラッグはやらんけどいちど切れると手の付けられない暴れん坊…。改めてみると別ににてるわけでもないなあ。

うわさによるとスコットランドにはベグビーがいっぱいいるらしい。
一回行ってみたいところだ。
BOWMORE飲みに行きたいしな〜。

BOWMORE.jpeg

これまじでうまい。

何はともあれイタリアが決勝でもやってくれる事を祈る。

そしてガットゥーゾがベグビーのように最後の最後で裏切らん事を…。


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お疲れさん、ヒデ

2006年07月04日[01:30:16]
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〜nakata.net〜 より

“人生とは旅であり、旅とは人生である”
2006.07.03

〜1985年12月1日 - 2006年6月22日〜

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U−15、U−17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”

********************************

今W杯のヒデの戦いぶりは普通ではない事は感じていた。
クロアチア戦で試合終了とともにグラウンドに倒れ込んだ。
ブラジル戦終了後はチームメイトに先に行かせ、センターサークルで一人くやし涙を流した。

そして昨日自身ののホームページ(nakata.net:http://www.nakata.net/jp/) で突然の現役引退を発表した。
今大会にて代表からの引退をほのめかしていた彼だがまさか現役引退するとは誰も予想していなかった。

彼らしい選択だと思う。

10代のときから世界を見つめ、常に先を見据えて行動してきた。
日本人選手が世界で通用するために何が必要なのかを彼は誰から教わる事もなく自分で試行錯誤しながら実践してきた結果、今の地位を築き上げた。
期待される多くの選手がぱっとせず消えて行く中彼だけはいつもわれわれの期待にピッチ上で応えてくれてきた。

その過程で特異な言動により誤解される事も多かった。
極度のマスコミ嫌いも手伝ってメディアで酷評される事も少なくなかった。

彼は言う。
それは自分のサッカーに対する愛を守るためのものだったと…。

「これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。」


この一文は中田という男を知るものにとって涙なくして読む事は出来ない。

しかし今思うと彼の行動すべては、自分が世界で戦うために、日本が世界で戦うために必要な事だったと改めて思い知らされる。
ここ10年の日本のサッカーの急激な進化はヒデなしではありえなかった。

日本は本当に本当に大きな宝を失う。
何事もいつか終わりはやってくる。
しかし予想以上にその終わりは早くやってきた。
彼が今まで伝えようとしてきた事、それを糧に日本が強くなって行く事が彼に対する最大の恩返しだと思う。

これからヒデがどこへ向かうのか誰も知る由はない。
でもやつの事だから10年後まで見据えての行動に違いない。

必ずヒデは日本のサッカーのために戻ってくる。
そのときまでしばしお別れだ。

「こちらこそありがとう。そしておつかれさん」

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WC2006 イタリア、カテナチオの復権

2006年07月02日[02:00:11]
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アルゼンチンサッカーが僕のあこがれならば、イタリアサッカーは僕の教師だ。

監督のいわれるがままにサッカーをしていた中高時代から大学に入り自分の目指すサッカーを探していた頃、AC MILANに出会った。
アリーゴ・サッキ率いるAC MILANのプレッシングサッカーは今でも自分のサッカー戦術思想の中心を占めている。
当時WOWWOWでしかみれなかったセリエAの試合を自宅にWOWWOWをもつ友人にとってもらってはビデオがすり切れるぐらい何度も見ていた。

「誰がいつどこで相手にアタックに行くのか」
「バックラインはどこに引くか」
「ボールを奪った後どこにフィードするのか」

本当にあの当時のAC MILANのサッカーはみればみるほど魅力的で、それまでドリブルしてラストパスを出してシュートを打つのがすべてだった僕のサッカー観は大きく変わり、よりディフェンシブなポジションを好むようになった。



今大会のイタリアはなんともつかみ所のない戦いを続けていた。
いつも通りと言えばいつも通りなんだが、何かが違う。
それはいつになく攻撃的に行こうとする姿勢から来ていたのかもしれない。
名将リッピさんは大会前は「どんな相手にも3人のアタッカーを使う」と公言し、実際最初の数試合ではトッティをトップ下に置いた4-3-1-2のフォーメーションをしいていた。
しかし試合を進めるうちにすこしずつ守備的な方向に軌道修正して行き、イタリアの今大会の戦い方がある程度はっきりしてきたのがウクライナ戦だった。

伝統のカテナチオの復権とここ何年も見る事の出来なかった攻撃のエッセンスがうまく融合した。

カンナバーロ、ブッフォンを中心とした鉄壁の守備に、昨シーズンの不調がウソのように輝きを取り戻しているピルロ、中盤の番犬ガットゥーゾ、怪我から徐々に復調しグラウンド上でファンタジーを創造できるトッティ、そして強く早く抜け目のないFW陣。

フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アルベルティーニ、ロベルト・バッジョらを要し無敵だったあの頃のAC MILANとだぶって見える。

次戦は圧倒的な地元の声援を受けて尻上がりに調子を上げてきたドイツだ。

「アルゼンチン戦でみせたゲルマン魂はやっぱりすばらしい」

「カーンとレーマンの握手に感動した」

(作り笑いをしてレーマンに手を差し出すカーンの目の奥にキラーんと光るものが見えたのはわしだけじゃろうか?)


などとドイツを賞賛する声は日に日に盛り上がっている。
そして日本人はドイツ人に好意を抱いている人が多い。
実際約束を守る誠実なドイツ人とは結構うまが合う。

しかしあえて言わせてもらおう。

「ドイツサッカーはつまらん。

とっとと負けてくれ!」


というと


「イタリアのほうがもっとつまらんじゃないか!」


と抗議がきそうじゃが自分的にはイタリアのサッカーは見ていてわくわくするからしょうがない。

かつてのきらめきを取り戻したイタリアサッカーが、奴らの行く手を阻んでくれると信じている。


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WC2006 アルゼンチン必然の敗北

2006年07月01日[04:24:52]
僕の一番のヒーローは今も昔もマラドーナ。
彼が何をしようと何をいわれようとマラドーナ。

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一番右にいるちょっとやばげなおじさんです。

それに続くのがルーマニアのゲオルゲ・ハジ

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これまた一本きれるとヤバそうな感じです。

どうも昔からプラティニやジーコといったスマートでエレガントなプ
レーヤーより体が小さくてグラウンド上で感情をむき出しにし(マラドーナはグラウンド外ではさらにひどいが)誰もが予想できないような天才的なプレーを見せてくれるラテン系のプレーヤーが好みのようだ。

そして今最も僕の目を惹き付けて離さないのがアルゼンチンのメッシだ。

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う〜ん、さわやか 

マラドーナやハジなどのゲームメーカーとは少しタイプが違う(見た目も)が、ボールをもったときの期待感は、まさにマラドーナやハジを彷彿とさせる。
今後10年はこの19歳になったばかりの少年を追いかけようと思っている。

当然今大会一番のひいきチームはアルゼンチンだった。

そしてそのアルゼンチンも今日大会を去る事になってしまった…。
内容はドイツより明らかに上だったので本当に残念である。

べケルマンさんにとって一番の誤算は守護神ロベルトの負傷交代だった。(左脇に強く膝が入っていたが大丈夫だろうか?あの痛がり方は腎損傷の危険があるように見えた…)
ロベルトの負傷の直前、一点リードした状態でベケルマンさんがきろうとしていた最初のカードはリケルメにかえてカンビアッソの交代だった。
リケルメは相手の強いプレッシャーに苦しみほとんど仕事を出来ないでいたから、守備もうまく攻撃参加もできるカンビアッソの選択は良かったと思う。
ただその時点で残る交代枠が一つになってしまった。

そして明らかにつかれていたクレスポにかえてベケルマンさんが選んだのはクルスだった。
そしてこれが勝負の分かれ目だったような気がしてならない。
ベケルマンさんは一点を守ろうとしていた。

アルゼンチンが失点したのはその直後の事だった。

なぜクルスを使ったか?
おそらく前線にワントップの形で残してドイツの大きくて屈強なDFに対峙しようという狙いだったと思う。
しかしドイツのDFは高くて強いが、決して速くはない。
大会前の日本戦でも柳沢や高原のスピード(特に狭い局面での)に手を焼いていた。
あそこはやはりメッシやサビオラなどのスピードのある選手を入れて欲しかった…。

司令塔のリケルメを外し、高いだけではやさのないクルスを入れた時点でアルゼンチンは自分たちのサッカーを捨ててしまった。

いくつかの不運が重なったとはいえ結果的には采配ミスだったと思う。
この後味の悪さはなんとなく国立競技場で行われた1998フランスワールドカップ予選の逆転負けをくらった韓国戦を思い出してしまった。

見ていて楽しいサッカーを出来る数少ないチームだったアルゼンチンが最後に自分たちのサッカーを捨て才能よりもフィジカルを選んで負けてしまったのは必然だったのかもしれない。

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