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Butterflies and zebras and moonbeams and fairy tales That's all she ever thinks about riding with the wind.
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Author: Ka-kun & Ananya
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2005年01月07日[12:23:17]
James Redfieldの「聖なる予言」という本をご存知だろうか?ストーリーはペルーである古代文書が発見された事から始まる。そこには人生の意義に触れた深遠な知恵が記されているという。何かに導かれるようにペルーへ飛び立った主人公が偶然とは思えないさまざまな出逢いのなかで九つの知恵を一つずつ見いだして行く、というフィクションである。こういうSpiritualな話を信じるかどうかは別として、確かにペルーには何かを感じさせる強烈なオーラが漂っていた…。
手前味噌な話だが私は日本でがんの治療に携わっていた。それはあまりにハードな生活であったが、今はある機会を得て偶然アメリカで骨休みをさせてもらっている。ペルーにこようと思い立ったのもつい先週の事でたまたまスケジュールが空いたからだった。 連れと偶然入ったLimaの寿司屋で不思議な人にであった。後から知ったのだが彼はとても有名な考古学者らしい。最初は「すげえ酔っぱらいがおるで」と思ってあまり近づかないようにしていたがふとしたきっかけで会話が始まり、職業の事やなぜペルーに来たのかを話しているうちにすっかり彼の話に夢中になってしまっていた。「文明、自然、病気、切っても切れないはずのその関係の中に現代の人間の生き様を見いだす事が出来る。がんやエイズの遺伝子的な研究ももちろん立派な事だがなぜこのような病気が今流行しているのかをもっと考えないと病気の治療なんてできないよ」と彼はとても暖かい表情で語った。心の琴線に触れるとはこのことをいうんだろうか、なぜだかわからないがその話の途中から私は涙をこらえることが出来なくなっていた。(わしは泣き上戸じゃないよ)純粋に人の話でここまで感動したのは本当に久しぶりの事だった…。彼の人間的な魅力、生き様、そして彼が関わってきた先祖達の声が心に染み入った。彼は最後にこう締めくくった。「君達が今ここにいて私に出会ったのは単なる偶然じゃない、何らかの使命があって今、この場所で僕と話しをしているんだ。ここへきてくれてほんとにありがとう」と…。 彼は現在4大文明を覆す事になるかもしれないペルー北部のある遺跡に関わっているらしい。何千万年と続いてきた人類の歴史の中のほんのちっぽけな存在でしかない私の使命が何なのかはわからない。しかし彼とここで出会ったほんのちっぽけな偶然が私の中の何かをかえた事だけは間違いなかった。 ![]()
2005年01月07日[04:03:25]
ナスカの地上絵。何度も写真で見た風景も本物を見るとそのスケールに圧倒される。私は有名なはちどりや宇宙人よりもむしろ限りなく続く直線、幾何学的模様に目を奪われた。空から見るこれらの模様は現代飛行機に乗って空から見えるまっすぐにのびたHighwayとその精度は何ら変わりない。誰が何のためにこの地上絵を書いたのかは今もconsensusが得られていないが、ある障害者学級の先生の非常に興味深い話を聞いた。
「うちの生徒達ならこれを書く事が出来ると思います。」と彼女は言う。 目の見えない生徒達にはある特殊な空間能が発達している。彼女の生徒達であれば、この巨大な地上絵をなぞって歩くだけでそこに何がかかれているのか理解できると言うのである。 ![]()
2005年01月05日[04:36:31]
Limaでは日系3世の当山ぺぺさんが経営する当山ペンションhttp://www.pepepenshon.com/に泊まった。ペペさんの自宅を改造して造ってあるこのペンションにはぺぺさんの暖かい心遣いがすみずみにまでいきわたっている。シングル一泊18ドルとバックパーカー宿としては決して安くはないが、他の南米入国のために必要なビザの手続きなど多くの情報を得る事が出来るほか、このペンションで企画しているツアーも安くであり、時間がない旅行者にはとても便利だと思う。
2005年01月04日[04:41:28]
2005年01月03日[04:52:27]
ペルー料理は日本人の口に本当に良く合う物が多い。そして驚くほど日本に近い味の料理がある。
一般的には日本とペルーとの交流はコロンブスが新大陸を発見した1492年の少し後ではないかと言われている。中米ハイチ島あたりの原住民の一種の風土病であったと言われている梅毒はコロンブスによってヨーロッパに持ち込まれ1493年にはバルセロナで大流行したが、日本に上陸したのは永正九年(1512年)と言われており、ポルトガル人が初めてわが国へやってきた天文10年(1541年)より30年も早かった事からその時代にはすでに新大陸との直接的な接触があったと考えられる。しかし少し前に話題になったGavin Menzies著「1421」のなかで彼はコロンブスの新大陸発見に先立つ1421年には、永楽帝の命を受けた宰相宦官鄭和の艦隊によって、世界地図が既に完成していたと唱えており、本当のペルーと日本との交流ももっと以前からあったのかもしれない。実際1000年以上も前のプレインカ時代の遺跡から鵜飼いの絵が書いてある土器が発掘されているのである。それだけでなく土器によりいろいろな事を表現していた彼らはアジア人を表現した土器をたくさん残している。遥かいにしえに船で偶然ペルーへたどり着いた日本人達がこのような料理を伝えそれが現代まで息づいている…というドラマティックな話が本当にあるのかもしれない。 ペルーの料理の中で私がなんといってもお勧めしたいのはアヒデガジーナ aji de gallina という鶏肉、パンを煮込みパルメザンチーズとアヒ・アマリージョというペルーのイエローペッパーを加えたこの国独特のシチューである。適度な辛さとやわらかい鶏肉とまったりしたクリーミーなソースが良く合う。CuzcoのPucaraで食べたアヒデガジーナは未だ忘れる事が出来ない。 アヒ・アマリージョは日本では手に入りにくいらしいが試してみたい方は是非! http://www.vivas.jp/food/cook-html/03-ajidegallina.html ![]()
2005年01月02日[04:43:14]
旅行にはトラブルはつきものである。トラブルなきトラベルは後から回想しても面白味がない。(もちろんその時は泣きそうになる事も多々あったが)
ペルーへの旅立ちはのっけからトラブルに巻き込まれた。マイアミ行きAmerican Airwaysが遅れ、マイアミ発リマ行きの飛行機に乗れそうにない。しかしAAと提携しているランペルーに接続できるから問題ないとの事だった。かな〜り嫌な予感がしたがすでに待ち時間でビール大ジョッキ2杯飲んでいた私は不覚にも彼らを信用してしまった。マイアミで待ち受けていたのはマリオットホテルの宿泊券をもってにこやかに笑っているJohn(仮名)という男だった。私はただこれを渡すようにと上から命令されただけだと言う彼をあっさり見限ってランペルーのカウンターへ急いだ。が、しかし、カウンターには誰もいない。それどころかその横にあるセキュリティーも閉まろうとしているではないか。「24時間眠らない街マイアミってのはうそじゃ〜」と私が信じていたキャッチフレーズをうらんでいる時間はなかった。窓の向こうに見えているランペルーはあと30分でリマへ向けて旅立ってしまう。そこへ一人の女性が目に入った。彼女はなんとランペルーのIDをつけている。飛行機に乗るために私がとれる唯一の策は彼女にたのみこむ、というか結果的には脅迫に近いものがあった。しかしこれが功を奏した。騒ぎを聞きつけたランペルーの幹部が現れたのである。(ついでにポリスも来たが…)彼は私の熱いというか暑苦しい願いを受け入れてくれなんと手書きの航空券を発行してくれた上に、閉まりかけていたセキュリティーを立ち上げてさらに滑走路を一緒に激走してくれたのである。サンキュー、アミーゴ ![]() 数十分後、私は無事ランペルーに乗り込み、神秘の国ペルーに思いを寄せながら何もなかったように赤ワインを飲んでいた。「このワインぶちうめえ!」 ![]() |